たぶん、わたしは「人運」がいい。
「おもしろい」人に偶然会えることが多い。
なんでここに?みたいなことも多い。
もちろん、松田龍平にはたどり着けていない。
人を観察することが好きで、よくひとりでにやにやしてしまう。
思い返してみると「あの人には深くかかわらなくてよかった」とか
「やっぱりあいつは面倒くさいタイプだったから付き合わなくてよかった」など
自ら危険を回避できていた気もする。
余計なことはしない、余計なことも話したくない。
そもそも興味のないひとや、明らかにわたしを傷つけようとしてくる人とは関わりたくない。
こちらホーチミンにきてから、いろんな人に会った。
周りにわたしを知っている人がいないことをいいことに、
変に積極的になってしまっている。
「どうせ国に帰ればもう会うこともないだろう」という開き直りがある。
といっても、低俗なことはもちろんしない。
突然ため口で「日本人?」と話しかけてくる男は大抵アウトだ。
英語で言えば同じかもしれないが、まともな神経をもった日本人であればそんなことはしない。
ただこの陽気な雰囲気に乗じて気が大きくなった中途半端な金持ちだ。
(そしてほとんどの日本人男性はおしゃれではない。)
よく人に言われるのだけれど、「変わった人」の引きが強いと思う。
過去、「間」という漢字を愛していて
懇々とその良さ、意味の深さを説いてきたフランス人男性もいた。
あいつはやばかった。何度も頭の中で反芻してはずっとその会話を楽しんでいる。
昨晩は、すごく押しの強い韓国系アメリカ人に出会った。
「俺はニューヨークだ!!!!!!!!」って今にも叫びそうなくらいNEW YORKを鼻にかけていた。
アフリカ系アメリカ人である父親譲りの浅黒い肌のなかから
にっかりとむき出でてくる白い歯が
照明のなかで見えたり隠れたりしていて、おそろしかった。
母は韓国人とのことで、韓国語も話せるようだった。
「ワタシ韓国人で!」と片言の日本語で言ったと思えば
「ニューヨークはブルックリン、キングスに住んでいる!!!!!」
と英語でめいいっぱい主張してくるから、もう彼はとっくにいい気分になっていることがわかった。
「ニューヨークに住む俺からすれば世界はどれもちんけなもんだ」感を
ホーチミンでだされても困るし、本当にそんな人がいるんだと驚いた。
世界の金融センター・ウォールストリートで働いていようが、
こんなちんけな日本人女にブログでコケにされている。
あとは、どぶろっくの禿げたほうのイタリア版がいた。
顔のパーツのみをアプリでイタリア人に差し替えたら、こうなるんだと思った。
「このストールをかけたらもっとゴージャスになるよ」とかけてくれた
赤ギンガムのストールがすごく湿っていて、とても不快だった。
知らない人と会話するのはすごく楽しい。
いろんな人がいて、いろんな会話がある。
でも何度その話をしたかわからないほど使い古された会話で
げへげへ笑いたくもなる。