250103
あえて女性ではなく、女という言葉を使わせていただく。
女として生きるために、子を産むことはとても重要なことである。
本能としての女の機能であるからである。
生殖機能である。
じゃあ、それを使わなかったとき。
使えなかったとき。
女として不完全なのか?
仕事や一人の人間として経験したいことを全てやり切るには
31歳の壁は非常に近くてやりきれない。
まだやりたいことの半ばなのに子供を産むために誰かと添い遂げることなどできず
人を傷つけるだけの人間と揶揄されるのはあまりに酷では?
同じところで生きなければ、子供を身ごもることもできない?
日本の中できちんと、同じ生まれた家に貢献しなければ
子供を生もうと人と向き合うことも許されない?
じゃあ、と人と向き合うことを選んだ先に誰が私を幸せにしてくれるの?
意地を張っているというけれど、生んでみて考えればというけれど
五体満足でひとが生まれることが当たり前だと思って?
自分も、我が子も辛い思いをする先に、誰がいるの?
ちゃんと不幸なわたしを笑顔にしてくれる保障は?
それすらも自分で責任をとるのはあまりに辛い。
確証もないその先に飛び込むにはあまりにも愛が薄い。
自分がどうにでもなってもよいと仕事をやめて異国に飛び込む勇気のないひとに
わたしはどうも絆されることはできない。
これまで器用に生きてきた。
人を傷つけても、その周りの強い人間たちに価値を見出してもらって生きてきた。
その自負のあまりに、さらに人を傷つけてきたことも分かっている。
その度に自分もさらに傷ついていることも分かっていて。
その度に、その度に自分がどうしたいかもわからなくなってしまう。
いろんな世界を見るたびに、こんなこともあるんじゃないかと思ってしまう。
見聞を広げるたびに、自分のもといたところや帰る場所がちっぽけでばからしいと思う。
でもその反面、そういうぬるま湯につかるたびに気持ちの良い思いは増える。
その中で起きたことが今だ。
自分の生きる場所を決めることがこんなにも大事だとは。
ひとよりもまず、自分が納得できる場所でできることを探すことが
こんなにも辛くて難しいことだと思っていなかった。
それを決めるのが人だと思っているのは、私も他力本願なの?
怖くて悲しい、あまりに難しい。
こんなにも毎日考えて眠れないのに、さらに考える必要があるの?
どうしたらいいのーーーーー
240719
ここなら怒られないはず。
日本のそと、海外でやっていける人って
言語ができるかどうかは関係なくて
人に期待しないスキルにある気がする。
スルースキルではない。
こだわりがないかどうかでもない。
たぶん、暮らしの中で許せないことがあって
それがどうしようもないことや
文化的に許容すべきことなら我慢かもですが
実害があったり精神・身体的に影響がありそうなら伝えなくてはいけない。
もしくは交渉しなければならない。
そんな時に相手は「こういう姿勢であるべきだ」とか
「自分の方が正しいから尊重されるべきだ」があると
うまく行かなくなってしまう。
私はいつもそれで失敗する。
でも、ほとんどはパワープレーでねじ伏せていく。
国によってはかえって損することもあるし
案外それじゃないとクリアできないこともある。
弱気になったら負けなときも
相手を選べるなら選ぶほうがよいときもある。
さて、今日は金曜日だけど有給をとって
近隣国へひとり旅に出た。
来るのは2回目。
はじめて空港から公共交通機関を使って市内に移動する。
飛行機はLCCだったけれど隣がいなくて快適だった。


電車も空いていて快適だ。
外は27度らしい。
空港ゲートを出てからこの電車に乗るまでが
割と分かりにくかった。
まずT2からターミナル間用Sky Trainに乗り
Train Station駅、というところで降りる。
(ターミナル間用じゃないやん)
そこから市内行きのチケットを購入し、
時間になったらアナウンスされるプラットフォームに行く。
それまではベンチで待機する仕組み。
決めておくことはできないのかな?
みんな割とのんびりしている。
時間に余裕がない時、わたし結構辛いかも。
ベトナムのひとよりもスローだ。
周りの雑談のリズムが違って楽しい。
現地言語とノリが同じすぎて英語アナウンスをよく聞き逃す。
一生、国歌斉唱みたいな音源がループしている。
車内すべての座席に同じ広告が設置されている。
もう少し分けて複数社入れるのは無理なのかな。
一旦、おしまい。
今日は仕事を一切しない。
240628
わたしの大好きなRojiというお店がある。
生まれ故郷である富山県は小矢部市、
完全な集落や田園地域でもなければ地方都市でもない、
ただただ中途半端な県境の街で営業してくれている喫茶店。
開店から11年と1か月が経った2024年の6月末日にて閉店となった。
大好きなお店とか言っておいて、今の土地に移住してからの5年間はあまり行けなかった。
1回の一時帰国につき2回は固いが年に最低2、3回日本へ行くとしても
多く見積もっても15回くらいだろうか。
だからわたしのようなエセ常連客は何か言える立場ではない。
信条として、責任がとれない身分で人の行動に何か言うのは好きではない。
あと、自分が経験してないことを経験している人に、その経験について何か言うのも好きではない。
ホーチミンに来る前の富山・金沢に生息していたころでは多い時で週に1度、1カ月行かないこともあった。
その時はまた別に系列のバーもあって、そこでお酒を飲むことが多かったし
喫茶店とバーに連日行くことも少なくなかった。
「行き過ぎて暇だって思われるんじゃないか」とよく心配していた。
不規則に生きていたわたしがいつ訪れても歓迎してくれる、貴重な存在だった。
ふたつのお店がひとつになり、3人が1人になっても、芯になるものが残っただけ、だった。
とてもシンプルで潔いお店だった。
その場所にいくだけで満足で、そこに座っている自分が好きだったのだと思う。
正直、作業をするだけならコメダ珈琲だったし、何とでもない待ち合わせであればスタバだった。
何かしらの目的を果たすために場所を選ぶのは自然なことで
「その場所に行くことが目的」な場所は年々減っていく。
目的なしで何かに時間を割くことの贅沢さを忘れてしまう。
人に会うときもそうで、用事もないのに会いたいから、なんてことを思い、行動にうつすことって少なくなったはずだ。
もちろん提供されるものはおいしいし、素敵な空間だし、音楽も好きなのだけど
今振り返るとそこに違う人がいたら、行かなかったと思う。
その場所に行くことに価値を感じていたのは、間違いなくそこにいた人が作った雰囲気、カルチャー感があったからだ。
閉店を告げられたのは、いつも通り夜遅くに訪問した時のことだった。
やっと地元でお酒が飲めるぞと意気込んだ日。
幼馴染と一緒に話をして、お酒もコーヒーも飲んで
時計はあっという間に深夜3時手前を指していた。
みんな明日仕事だよなあと帰ろうとしたら、突然謝りたいことがあるという。
普段日本にいないのに、何も被るはずがないので頭は完全にハテナだった。
閉店すると聞いても、あまり実感がなく、「ふーん」というような反応しかできなかった。
わたしに対して申し訳ないといってもらったことで
我が愛が露呈していたことに改めて気づかされて少し恥ずかしい気持ちがした。
しっかり話を聞いてしまうと本当になってしまう、まぁどうなっても本当なのだけど
なんかむず痒いような、心が浮ついているような、なんともいえない気持ちになった。
悲しむべきなのか?ただその事実を受け止めるだけでよいのか?
やっぱり気の利いた一言をいうべき?応援?いや、やっぱり面白いことをいうべき?
なんていうことをばばっと考えては止めを繰り返していた。
前身の店舗、モスキートに初めて訪れたのは高校生2年生の時だった。
ワッフルを食べながらALTのデニーに英語スピーチコンテストの練習に付き合ってもらったときだ。
それから大学生になり、ようやく車が運転できるようになって
当時はまだ地元の友人たちも住んでいたりしたので、隣県の大学エリアから頻繁に小矢部へ行き来していた。
モスキートの場所で新しいカフェができたと聞いて(その辺はいまいち覚えていない)ALTや先輩と一緒に行くことが多かった。
しっかり覚えているのはわたしがライブハウスでバイトするようになってからのこと。
マスターのアツシさんが元バンドマンだということを知って、じりじりと距離を詰めていた気がする。
わたしは自分の好きな人にはわたしの好きな場所や人を全て開示したい、馴染んでほしいという意欲が強いので、いくら遠い所に住んでいようともできる限りみんなを連れてきていた。
富山方面へ出かけることがあれば全員にRojiを経由させていたような。
どんな人を連れて行っても、つかず離れずな距離感が居心地がよかった。
正直いうと、わたしもその距離感のつかめなさにどうしようと思ったこともあるけれど、最終的には「そんな身構えることはない。喫茶店なのだから好きにコーヒーを飲んで帰ればいいのだ。」と開き直っていた。
そこまでしてわたしが通いたかった理由は、そのカルチャー感に馴染みたかったからだ。
カウンターで映画や音楽の話をしている大人たちにこっそり紛れていたかった。
確かに、小矢部という街で、Roji以外に音楽や映画、本の話をした場所があっただろうか。
ORANGE RANGEのMUSIQをレンタルしたあのメガトンがGEOになり、そのGEOもなくなった。
UNYがピアゴになり、ピアゴの1フロアほとんどがセリアになった今。
生意気な大学生の分際に大人がこっそりと教えてくれたことがいくつもある。
しょうもない映画の一幕について、おもしろい人間の話。
何かのためになるかって言われると分からないけれど、わたしにとっては面白かった。
Rojiを通して出会えたひとも多い。
地元に仲の良い同級生が誰もいない今、正直なところ小矢部は家族と過ごすためだけの場所だった。
それがRojiに行けば誰かしら会えるだろう、で本当に会えてしまうのだから不思議だ。
もうひとつそういうお店があるって言われても、気乗りはしない。
いろんな人と一緒にコーヒーを飲んで、タバコを吸って、ケーキも食べたし、鮨を食べたりもした。
年末の最後の日を過ごしたこともあった。いい歳の大人が集まって顔面に落書きをしあって腹をかかえた。
イベントへ繰り出した後にRojiで朝まで飲みなおし、カップラーメンを食べたりもした。
ただ思い出がいっぱい詰まった場所だよ、という形容では味気なくて。
Rojiはわたしにとってカルチャーサロンだった。
カルチャー、「Culture」は、語源は耕すという意味の「Cultivate」と共通している。
何もないところから、もしくは何かしらのベースのもと
生物が何かしらの行動を起こすことで生まれるもの、価値観や習俗をカルチャーとするのだから、Rojiはやっぱり小矢部で唯一のカルチャーである。
なんかとってつけたように尤もらしいことを言ってるなと思うかもしれないし
大それた発見みたいに、中二病みたいなこと言ってるなとちょっと自分でも恥ずかしい。
でもわたしのカルチャーがひとつ終焉するということは、とっても大事件。
灰皿ひとつ盗んだくらいじゃ終わらないでほしい。
誰よりもさみしいと思っているひとは勿論いるから、さみしいとは言いたくない。
お疲れ様、もなんだか偉そうで腹落ちしない。
大好きだった、も悲劇のヒロイン感がすごい。
また別の形で?でもGOING STEADYと銀杏BOYZは違う。
出会ったひとたちと、これからもおいしくお酒が飲めるように
わたしはお金を稼いで、健康で暮らそうと思う。
ぽっかりと浮かんだままでよい。
おしまい!
240320
昨日、またもやシンガポールに訪れた。
結論から申し上げますと、復路フライトの時間を間違えた。
こんなに毎月往来しておいて、慣れてきたころに犯す凡ミスである。
要因は、前月のチケットを見ていたことだった。
今回は特例のスケジュールだったのだが、いつも通りとたかをくくってしまっていたのである。
自分を信じてはいけない‥‥
人も信用できない自分なのに、自分まで疑い出したらどうして生きていけばいいの???
とブツブツ言いながらラウンジでカレーを爆食いした。
さて、乗るべき便をすっかりと逃していた愚かな私はその間
いつもは通り過ぎるだけのシンガポールの街を堪能してしまっていた。
どのシンガポール人もいうように、小さな町なので移動時間はそこまでかからない。
今回は公共交通の使い方をマスターしていたのでよりスムーズに移動ができた。
しかも、今回宿泊したホテルはちょうど移動の便が良い位置にあり
自分がもっとも訪れたかった「観音堂」までは徒歩圏内である。
その「観音堂」は、とても楽しかった。

お参りは線香を数本持ってオデコの方に掲げ、四方にお礼をするスタイル。
恐らく20代前半のおしゃれなギャルたちも
直前まできゃっきゃとじゃれていたと思えば真面目なお顔で四方に頭を下げていた。
そこの近辺にはベトナムでいうテト前に現れるような
どこをとっても赤か黄色の仏具屋さんが立ち並んでいた。
干支の占いが掲示されていたりして、私の酉年をちゃんとチェックした。

調べるとそこらへんにはよいマッサージやも多いという。
ググりながらふらついていると、十字路の真ん中で占い屋台をみつける。
うち1つのおじさんとぱったり目があったので、吸い寄せられるように入店。
でも現金がない。カードもNG。
じゃあだめだあと帰ろうとすると
なんとタダで占ってくれるという。
生年月日と名前を伝えると徐に数字を書き連ねる。四柱推命とやらですか???
割と当たっていた、タダなのに。
いや恐ろしいくらい。
・すぐにひとりで泣く
・交際しても続かない。38歳以上の男しか無理。
・Buy&Sellが得意
・仕事人間、上司が一番楽な勝手に一生懸命やってくれるタイプ
・Mindfull, very good mind
・24歳の時の相手はいずれダメになっていた
・責任感そのもの
・金を稼いでその分使う
・誰も助けてくれない、兄弟には期待するな
・両親、どこか少しでも健康気になることあればすぐ病院へいくべき
もうひとつ衝撃なことを言われたが、あえてここには残さないで置きたい。
(言葉にするとその通りにならなさそうだから)
申し訳なくなり、VNDを置いてきた。
300,000ドン。
ちょっとショックだったのは、誰も助けてくれないという話。
割とずっと考えていたことを改めて人に言われると確実になったみたいで悲しかった。
さて切り替えてマッサージでもいくかと。
とても気持ちよかったが、58SGDは少し高い気がした。(60分全身)
施術してくれたのがまさかのベトナムの方だった。
みんな世界で頑張っているんだね。わたしもそうか。
恥ずべきミスの裏で、たくさんの発見があった1日。
いや、仕事しろ???
240220
土曜の夜への思い入れが強いという話。
どうせ入れるなら、とっておきの予定にしたい。
中途半端な予定で過ごすなら、ギリギリまで粘りたい。
金曜もそうだけど、どちらかというと土曜の方が強い。
準備の時間も比較的ゆっくりとれるし、おめかしするなら土曜日の夜。
むしろ昼間と夜の二本立てで動くこともできる。
さらにいえば、自分の時間を使いながら誰かと過ごすこともできる。
ここまで書いておいて、はっと気づくのは
「土曜の予定は誰か相手がありきでありたい」と思っていることである。
自分の予定だけでは辛いのである。
美容院を予約するのはいいけれど、そのあとに予定があってほしい。
ジムにこもることもできるけれど、そのあとに美味しいものが食べられたらいい。
こんなことを思っては、ひとりでじっと土曜を過ごすことを好む時期が来る。
平日にぐわぐわと人に触れたあとで疲れた心をナデナデしたい時と
誰かに会って自分が認識されたり、好かれたり、構われたりすることを認識したい時。
その繰り返し、周期を2周したぐらいで、またやってきた。
自分からいつがいいかと聞いておいて、土曜といわれるといやだ。
偉そうなのは百も承知だけど、それより楽しいことが起きたら?
空いてはいるけれど、それより大事なお誘いがあったらどうしよう。
それより自分が辛くてしょんぼりしたい時間だったらどうしよう。
いつもないんだけど。
そうやって自分本位なところがいけないんだろうな。
240219
カブトムシ理論
一言でいうと、「人間はカブトムシのように雌雄が一目瞭然であるのだから、雄と雌として本能的に触れ合うことは必然である」という考えです。
・性的自認、嗜好が何にせよ、生物的に雌雄は一目瞭然である
(雌雄どちらかの生殖機能を必ず持っている前提)
・生殖し、繁栄することが種として目指すものである
⇒雌雄の形状をもった人間がペアで存在する場合、その行いには必然性がある。
もうすでにもっている身体の機能としての雌雄を忘れて向き合うことはできない。
身体と精神の性が一致していないことや、精神的な好意の向け先、性的嗜好を
否定するつもりは全くないのですが、第一に優先されて考えられるべきは「カブトムシのように一目瞭然な体つきが示す雌雄」であると感じます。
昨日、お酒の席で話をしたのですが
雌雄の先には「第一印象として好意的」であるかどうかという判断基準がありそうでした。
その傍らで思い出したのは「最初は嫌いな人ほど仲良くなる説」です。
確かに両方ありますね。
その「好意的」「嫌い」、どちらも「見た目」であると思っています。
第一印象なのだから、見た目でしか分かりません。(視覚的情報)
嫌いになるにも、その人の言動が嫌いなのであって、見た目をいきなり「嫌い」にはなりません。だから、見た目では自分の第一関門をクリアしているのです。
(多分。きもいとか生理的に厳しいはあるかもしれないけれど)
240209
毎日パリのことをしっかりメモしようと思っていたのに
バスやメトロに乗り出したらGoogle Mapが無くてはならなくなってしまい
電池をセーブするはめになったのでしたためられなかった。
年始の仕事始め初日、じんわり残る記憶をたどって懐古します。
パリ初日に訪れたヴェルサイユ宮殿はとても美しかった。
世界史で習ったルイ14世、ついにあなたのお城に来たよ。
「朕は国家なり」っていいそうな顔してるな。
当時に比べてどこまで脚色されているんだろう?
こんな金ぴかの空間で眠るの怖くない?
風が通って寒いし、夏は暑そうだし。
絵画やタペストリーも汗をかきそう。
修繕に修繕を重ねて別物になってしまいそう。

夢中で見て回っていたら朝ごはんを食べ逃す。
帰りによったパン屋さん(ARTISAN)でキッシュを買う。




